所作……仕草や動作、身のこなし。それを見直すことは、もう一つの美容であると意識する……今回の提案です。例えば、お茶のお点前のように、日常生活の中の所作までを整えてみると、自分自身まで整うような気がするはずだから。
齋藤薫さん
美容ジャーナリスト/エッセイスト
あの人はなぜいつまでも若々しいの? あの人はなぜいつも美しいの? がむしゃらに美容をしている様子はないのに、ましてや若返りの施術などに頼っているわけでは全然ないのに、際立って若々しく美しい……言いかえれば、あまりにもさりげなくてその理由や決め手が簡単にはわからない人っているもの。そういう人は、一体何が違うのでしょう?
これはおそらく、所作。身のこなしや仕草が美しいのです。まず姿勢が美しく、立ち姿も座り姿も美しく、指先までに至る小さな動きも、体の線も含めた大きな動作も美しい。全身に神経が行き届いている美しさってあるものなのです。
正直なところ、私たちは日頃、この所作の大切さを忘れがち。いやそもそも、所作が“若さや美しさの条件”であること自体に、気づいていない人がほとんどなのです。
でも、それこそ姿勢の悪い人はどんなに美容をしようとオシャレをしようと美しく見えないこと、思い出してください。歩き方が溌剌(はつらつ)としていなければ、決して若々しく見えないこと、誰もが知っています。また単純に、バレリーナの体は疑いようもなく美しいわけで、そう考えれば、所作がいかに人の美しさを左右するかがわかるはず。顔だけが映る鏡だけで美を追い求めても、本当の美しさと出会えない、そこに気づいてほしいのです。
その、所作の大切さに気づかせてくれるのが、じつは茶道のお点前。流派によって、所作に多少の違いはあるものの、茶道というものが生まれた時から、お点前が形も流れもほとんど変わっていないのは、それが練りに練られた“最も美しい所作”だからに他ならないのです。もっと言えば、その動作には全く無駄がなく、しかもその一つに意味と精神が備わっているからこそ、お点前は最も美しい所作とされるのです。
茶道の経験がある人ならわかるはず。決められた作法を一つひとつこなしていくほどに心が整い、そして精神が一つ上の次元に高められていくような気がすること。お点前は、そこまでを極められた所作だと言えるのです。
茶の湯は、一期一会を前提に、お茶を点てて相手にふるまう一種の儀式だけれども、その作法こそ自分自身を研ぎ澄ませていく所作であり、それをより正しく美しく形にすることで、一つ上の次元の存在になれる気がするからこそ、茶の湯の世界は日本で1500年近くも丁寧に受け継がれてきているのです。
そういう見方から、所作の大切さ、作法というものの意味を改めて考えてほしいのです。一つひとつの所作を大切に考えることが、心身ともに美しくなる鍵ともなることを。
家でお茶を淹れる時も、急須をどのように扱い、どのようにお茶を注ぐか、厳密に言えば、そこにもちゃんとした作法があり、それを日々正しく美しく行い、しっかりと身につければ、心身が整っていくような感覚を持てるはずなのです。
さらに言えば、お箸の使い方から、脱いだ靴の揃え方まで、日常生活の中にも作法を問われる動作があって、そういうものを心を込めて所作することで、その人が醸し出す空気感が変わっていくということ、あると思うのです。
そして、毎日の肌のお手入れも。不思議なもので、当たり前のスキンケア行為も、ある意味の作法をこなすように、丁寧に所作した時、何か肌が整うような気がするものだし、心まで整ってくるような感覚に、気づいている人もいるはず。
少なくとも、毎日毎日同じ動作を繰り返すのがお手入れであっても、それをおざなりにせず、一つひとつ心を込めて行うこと、それも含めてスキンケアだということに気づいてほしいのです。
美しい所作が美しい人を作る……それは日常生活でも、また毎日の肌のお手入れでも実感できること、覚えていてください。
【格言】
当たり前の日常の中にも作法を見つけ、
心を込めること。
それも美しい所作で美しさを生む鍵となる
2023年7月24日
齋藤薫さん
美容ジャーナリスト/エッセイスト