大人はいつも“ 小綺麗” でありたいから「きちんと」のルール  齋藤薫連載Vol.9

大人はいつも“ 小綺麗” でありたいから「きちんと」のルール

「小綺麗」という表現があります。小さな綺麗じゃ物足りない……なんて言わないで。
実はそこに、人から愛され、自らも幸せな人生を生きる秘密が潜んでいたのです。

齋藤薫さん
美容ジャーナリスト/エッセイスト

いつも小綺麗でいること、
それこそが大人美容のルール

なんだか美しい人って、結局のところ“いつ会っても小綺麗にしている人”……程良くチカラの抜けた美しさが評価される時代だからか、近頃ますますそう感じます。少なくとも、綺麗な日と、疲れている日がある人は、やっぱり放つ印象までが不安定。だから小綺麗がいいのです。とりわけ大人は、時々びっくりするほどキレイに着飾っていたりするよりも、いつどこにいても小綺麗な人の方が美しい、それだけは確かなのです。

じゃあ“小綺麗”って何でしょう? その定義を紐解くと「程良く整っていて、清潔感があり、気持ちの良い感じがする様子」。程良く整っているから、気持ちがいい……それは逆に言えば、スキなく整いすぎていると、また頑張りすぎが目に見えると、見る人に必ずしも気持ち良い感覚はもたらさないこともあるということ。それは必ずしも美しさとつながらないということでもあります。

そして、小綺麗の何よりの決め手は、清潔感。それ自体が人を心地よくする不思議な力を持ってるいるから。独りよがりで華美な綺麗より、身だしなみとして清潔な、小ざっぱりした小綺麗の方が、今日会う相手を心地よくさせるはずなのです。

だから大人の美容は、頑張らなくていい、いつも小綺麗であればいいのです。

身なりがきちんとすると、
心までがきちんと整うのはなぜ?

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。説明するまでもなくこれは、「物質的に不自由がなくなった時、人は、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる」ということわざ。時代性も今とは異なり、言わんとしていることの意味は少し違うものの、“身なりと心はシンクロするもの“、という揺るぎない方程式がそこにあぶり出されてきますが、それは即ち「身なりがきちんとしてくれば、心まで整ってくる」ということ。ここでいう小綺麗のメカニズムとも共通しています。

身なりがきちんとすれば、心までがきちんと整う……それは“きちんとの連鎖”といってもいい現象。肌においても、同じことが言えるのかもしれません。すっぴんでいるよりも、うっすらでもお化粧した方が、気持ちまでしゃんとするのは誰もが感じていること。そういうこともひっくるめて、「小綺麗」と呼ぶのではないでしょうか。

言い換えれば、見た目に小綺麗な人が、内面までが穏やかで落ち着いた印象に見えるのも、そういうメカニズムがあるからなのかもしれません。だからこそ、いつ会っても小綺麗な人は、ぶれない美しさを宿しているとも言えるのです。びっくりするほど綺麗でなくても良いのは、それがため。内面までが柔らかく爽やかに見えるからなのです。

クローゼットを整理して要らないものを
捨てると、小綺麗な人が出来上がる

いつ会っても小綺麗な人って、何となくですが、暮らし方もきちんとした、整った印象があります。それが生き方の基本になっているような印象を放つのです。

いや単なるイメージではなく、実際そういう人の家は、いつも整理整頓されているはず。無駄なものはあまりなくて、清潔で小ざっぱりしているはず。小綺麗を目指す一つのカギは、まず暮らしを整えるというところにある気がします。

奇しくも今は大掃除シーズン、毎年この時期になると断捨離をやらなければという焦燥感に駆られる人もいるのでは。そんな時に思い出してほしいのです。小綺麗のカギとなる暮らしをするためにも、要らないものを捨てること。

不思議なもので、クローゼットを整理して“もう着ない服”を整理すると、コーディネートが極めてスムーズになり、自ずとバランスが良く洗練された組み合わせができることに気づくでしょう。結果として、趣味のいい小綺麗が出来上がるのです。それこそが断捨離の醍醐味といってもいいくらい。

そこに例外なく生まれるのが清潔感。暮らしそのものを整理整頓して、自らを清潔な環境に置いたとき、その人自身にきちんとした小綺麗な印象が生まれる理由、きっとわかったはずです。だからこの時期、思い切ってクローゼットの整理を。

【格言】

クローゼットを整理すると、
いつの間にか趣味の良い小綺麗が出来上がり、
結果として心までがきちんと整う

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