悩みが軽くなる、推しがある幸せ  齋藤薫連載Vol.10

今や多くの人が“推し”を持っていて、「あなたは何推し?」という会話が交わされるほど。そして“推し”のある人は、みんな幸せそう。それって一体なぜ? “推し活”と幸せの関係をここに紐解いてみました。

齋藤薫さん
美容ジャーナリスト/エッセイスト

推しがある人はいつも幸せそう。
それって一体なぜなのでしょう

かつては、ネガティブに捉えられることも少なくなかったオタク気質。でも気がつけば、何かを偏愛する人がおしなべてイキイキと輝いて見える時代、いわゆる“推し”がある人は、明らかに幸せそうに見えます。

その理由を改めて考えてみました。言うまでもなく、“推し”とは、「特定の人物やキャラクター、作品などに対して、熱心な支持や愛情を示す行為や、その対象を指す言葉」(実用日本語表現辞典)。本来は、推す=薦めるという意味だったのが、いつの間にか、複数の中で自分の一番のお気に入りを“推し”として応援する活動を“推し活”と言うようになり、独り歩きするようになったのです。
 
そこに見えてくるのは、単に「好き」とか「ファンである」を超えて、まるで身内のように無償の愛を注ぎ、熱烈に応援する活動を伴っていること。それがイキイキ幸せそうに見える決め手なのではないでしょうか。

つまり常に自分の意思で行動するから、当然のこととして前向きになり、私が応援してあげなければ! という、良い意味での使命感を持つからこそ、そこにやりがいを感じて、余計にポジティブになる。だから活動するほどにどんどん元気に溌剌としてくる……そういうメカニズム があるはずなのです。

心が暇でないことが、
何よりの幸せの鍵だと気づかされて

私たちは今まで、幸せになる方法を散々探してきました。幸福論を読んだり、幸せになるカラーや方角を占いで占ったり、あるいは幸福感を得るヘルシーな生活提案を実践してみたり。

それでもなかなか確かな幸福感は実感できなかったりします。一方で、「幸せかどうかを考えないことが幸せ」といった提言を見つけては、そうか、だから幸せを実感できないのだとまた考え込んでしまったり。

そんなふうに、幸せに振り回されてしまうのはなぜなのか、逆に考えてみると、まさに自分が幸せなのかどうかを考えてしまう“心の隙間”があるからなのではないでしょうか。そんなことを考える暇もないほど忙しいことが、幸せの鍵だとしたらどうでしょう。

ただ、忙しさにも2種類あります。自分が望まない辛い忙しさと、自分が望んでやっているからの楽しい忙しさがあるわけで、後者の忙しさはまさに自分が幸せかどうかを全く考えさせないほど、心を満足感で満たしてくれています。まさに心が暇でないから、結果として幸せという状況を生むのが、楽しい忙しさなのです。

そして今、“推し活”に忙しい人の多くが、そういう意味での“幸せな人”なのではないでしょうか。

不思議と悩みが減ってくる
“推し”は、だから素晴らしい

楽しい忙しさは、幸せかどうかを考えさせないと同時に、悩みもきっと減らしています。特に“推し活”のような、自分が支えなければという使命感に突き動かされての応援は、一つの生きがいにもなるわけで、いろいろ悩みはあったとしても、それを取るに足らないものにしてしまうはず。

心に隙間がある時は、鏡を見ても小さい悩みをいろいろ見つけてしまいがち。だからあれもこれもとスキンケアにも迷いが出てしまいがちです。 でも楽しく忙しい時は、いつの間にか簡潔なお手入れでたっぷりのうるおいを与えるような、前向きなスキンケアができているはず。 

言い換えれば “推し活”に夢中になっている人は、悩む暇もないから、悩みを忘れてしまい、基本的に悩まない体質が出来上がっていくのです。それがまた幸せにつながっていく。だから“推し“のある人は、疑いなく幸せそうなのです。いつもイキイキ、輝いていられるのです。

そう、まさにそんな幸せの作り方もあること、覚えていて下さい。

【格言】

“推し活”に夢中になると、
悩む暇もないから、悩み方を忘れてしまう。
だから結果として幸せに満たされる

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